福井 丸岡城の急階段には驚く青森県立美術館の あおもり犬

2024年06月28日

縄文遺跡に女ごころを見た

昔むかしに中学校で習った日本史とは一体何だったんだろうか? と思うほど、日本の歴史特に古代史のあっと驚く事実がいろいろ明らかになっています。
特に近年の考古学上の大発見により、縄文人のすごさが分かってきてワクワクします。

縄文時代は1万数千年も続いたので、とてもとても簡単には語れませんが、三内丸山遺跡の出土品を見てますますそう思いました。
学校の教科書では、縄文時代は一言でいえば狩猟や漁や木の実を採取しながらあちこちと移動して生活していた原始人の時代で、縄目のある土器を使っていた、というようなウソ八百を習っていたわけです。

縄文時代で一番のポイントは、1万年以上の縄文時代は戦争がなかったということです。
その証拠は、縄文の遺跡の出土品からは、人を殺傷するような武器が何一つ発見されていないということで証明されます。
刃物や矢じりや石斧などはもちろん出土しますが、それらは戦争の武器ではありません。

三内丸山遺跡は縄文時代の前期から中期にかけて、人々が一か所に定住して1500年もの間繫栄した遺跡なのです。
縄文1万年以上の中の1500年というのは大したことないと思ってしまいますが、今から1500年前といえば、あの聖徳太子さえ生まれてもいなかったほど昔なのです。
この1500年間に日本人はどれほどの戦争をしてきたのかと考えると、縄文時代のすごさが分かります。

縄文人のすごさについてはまだまだスケールの大きな話もありますが、まずは三内丸山遺跡の発掘品を少し写真でアップします。

とにかく信じられないほどの数の膨大な出土品なのです。
これらの縄文土器のすべてが、国指定の重要文化財。
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    [縄文土器群]

特に目を引いたのがヒスイ製の大珠で、これは糸魚川のヒスイでしょう。他にも北海道の黒曜石の石器や久慈の瑪瑙(めのう)など、この時代にはすでに遠方との交易があったことも分かっています。
将来の国宝候補かな。
P6200002
    [ヒスイ]

これは骨などを加工した針、これらの針をまとめて入れておく小物容器まで見つかっています。
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    [裁縫道具]

遥か昔の女心を感じたのが、細かい細工を施したこのヘアピンです。
こういう物を使うほど、三内丸山の集落で暮らしていた人たちは平和で心に余裕があったのでしょう。
P6200004(2)
    [女心]

土偶のデザインも秀逸ですな。
遥か西方のオリエント文化の出土品との共通点をかんじませんか?
P6200008
    [土偶]

縄文人は実は世界規模の民族移動をして、世界各地の古代文明を作ったという説もあるのですが、この土偶のデザインを見ると、さもありなんと思ってしまうのです。
全部クリックしてど~ぞ!
P6200006
    [オリエントの香り]

urutorahurosu at 06:00│Comments(2)旅写真 

この記事へのコメント

1. Posted by 0yazi   2024年07月02日 20:25
自分も縄文時代マニアになって教科書って何だったのか? と憤っております。

そして、教科書に載っていた典型的な縄目の縄文土器っていまだにお目にかかっていないんですが、何処にあるのでしょうか?
2. Posted by kusakabe-dc   2024年07月02日 22:25
0yaziさんへ
え~?そんなこと考えたこともありませんでした。
自分がびっくりしたのは、三内丸山ではもう栗の木の栽培をしていたとか、弥生ですが吉野ケ里では絹の布を作っていたとか…
ということは、もうとっくにユダヤ系の渡来人の一派がが日本に来ていたということなんですよね。
しかし平成になってからの発掘で新たに分かったことってすごすぎますね。

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