浅間山がまるで富士山のように古墳時代のファッション

2024年02月10日

群馬は関東の文化の中心だったようで

古墳といえば世界遺産の百舌・古市古墳群などに代表されるように、関西に多いというイメージがありますが、実は群馬は13,000基以上の古墳がある東日本最大の古墳王国なのです。

4~6世紀の古墳時代はこの辺りは農業で栄えて、それだけの数の豪族がいて、関東文化の中心地だったようであります。
5世紀後半からは馬の生産も始まり、ヤマト王権と結んだ豪族が力をつけて、大きな古墳が作られたようですが、これが群馬という地名の由来なのかもしれません。

最近、弥生時代あたりから実は古代ユダヤ人が日本に渡っていたという痕跡が各地でいろいろ見つかっていて、発掘された埴輪の中にはどう見てもユダヤ教の衣装の埴輪などもあったり、普段我々が使っている日本語やわらべ歌などにもヘブライ語の歌詞があったりと、とても興味をそそられることが多くて、そのような本を読んだりYouTubeを見たりしています。

今までは古墳や埴輪にはあまり興味がなかったのですが、そのようなこともあり、高崎市の外れにある大きな古墳をとりあえず1基訪問してきました。
ここは外見は造営当時の状態を再現していて、円筒埴輪がずらりと並べられて(本物の埴輪はin博物館)圧巻です。
P1310002(2)
    [古墳時代]

この古墳は前方後円墳で、円墳の部分が一番高くなっています。
P1310011(2)
    [前方後円墳]

円墳部の中には石棺が納められていて、実際に階段で中まで下りて石棺を見ることができるようになっています。
P1310008(2)
    [石棺]

人型の埴輪に興味があるのですが、本物は公園内の博物館に展示保存されているようです。
ユダヤ人埴輪は千葉の成田近くに多いようなので、3月の青春18きっぷ春で訪問してみようかなと密かに思っているのです。
全部クリックしてど~ぞ!
P1310005(2)
    [埴輪ろまん]

urutorahurosu at 06:00│Comments(2)高崎暮らし 

この記事へのコメント

1. Posted by マーガレット   2024年02月10日 20:53
石棺って,和式トイレみたいな形してますね!
初めてみました🧐
2. Posted by kusakabe-dc   2024年02月11日 09:47
マーガレットさんへ
石棺にはいろいろな方tがあるようですが、この石棺は船形石棺というようで、船底の形をしているからだと思います。○○隠しのように見えるのは、蓋の部分を切り取っているからでしょう。
和式トイレの中に遺体が置かれているわけではないと思いますが...笑

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
浅間山がまるで富士山のように古墳時代のファッション