南岸低気圧と聞くと荻野目洋子瞽女(ごぜ)を撮る

2024年02月07日

宇多田ヒカルのばあちゃんは瞽女(ごぜ)さんだった

瞽女(ごぜ)とは目の不自由な女性の旅芸人たちのことで、江戸時代から昭和39年まで各地を巡り、唄と三味線の演奏を披露する人たちのことです。
特に高田瞽女はその名を知られていたそうで、その文化を伝える「瞽女ミュージアム高田」が雁木通りの町家に作られています。

新潟の瞽女の三味線が津軽に伝えられて、津軽三味線の楽曲の原型になったとも伝えられています。
ちなみに藤圭子の母親が瞽女さんだったらしくて、ということは宇多田ヒカルのおばあちゃんが瞽女さんだったということになります。

高田ではこの瞽女文化を伝えるために、毎年当時の衣装で門付けをして歩く瞽女さんを再現するイベントがあり、今年も節分の日に開催されました。
今日はその雰囲気写真です。

出発前の町家の階段を下りてきたところを、白黒で当時の雰囲気で撮ってみました。
P2030031(2)
    [高田瞽女]

入り口を出て、これから雁木の通りを門付けして歩きます。
P2030036(2)
    [出発]

雪の残る小路を通って雁木の通りに向かうのですが、カメラマンがぞろぞろとその前後を取り囲むので、それを排除した写真を撮るのが大変なのです。
P2030058(2)
    [雁木通りへ]

実際の瞽女さんは、少し目が見える人を先導にして、まったく見えない人は前の人の背中に手を添えてこのようにして歩いて行きます。
P2030044(2)
    [先導]

所どころの玄関先で、門付けといって三味線と瞽女歌を披露して心尽くしを頂く様子を再現します。
明日はこの日の瞽女さんの作品写真をアップします。
全部クリックしてど~ぞ!
P2030230(2)
    [門付け]

urutorahurosu at 06:00│Comments(2)写真の話 

この記事へのコメント

1. Posted by おばちゃん   2024年02月07日 14:48
瞽女の生き様を動画などで知り、
胸が締め付けられます

如何に現代が甘やかされているか
思い知らされますね。
2. Posted by kusakabe-dc   2024年02月07日 20:34
ハンディキャップを持った人たちの暮らしが、特に昔はいかに大変だったか、高田に行って改めて思いました。
藤圭子も幼いころ、母親に手を引かれて旅をしたそうです。
そんなイメージで写真を撮らせてもらってきました。

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