2024年06月
2024年06月30日
2024年06月29日
青森県立美術館の あおもり犬
三内丸山遺跡のそばに青森県立美術館があります。
青森市の街なかの棟方志功美術館がだいぶ前に閉館して、現在はその作品が県立美術館に展示されているので、三内丸山を見てから徒歩で行ってみました。
[青森県立美術館]
初めて行ったのですが、入り口が何カ所もあるようで、入館してからも展示室への移動がちんぷんかんぷんで、広さの割りにはやたら時間をかけて回りました。
エレベーターでB2Fへ、最初の吹き抜けの部屋にはシャガールのでっかい作品が部屋の四方向に飾ってありました。
[シャガール]
B1Fが棟方志功の作品を展示していますが、正直いって倉敷の大原美術館の棟方志功コレクションの方が見ごたえがありました。
[棟方志功]
この美術館のウリは「あおもり犬」で、奈良美智氏の作品ですが、野外のこの場所にたどり着くのにやたら階段を上り下りしてシルバー世代の入場者はブーブー文句、この美術館の設計者の悪意みたいなものを感じましたな。
他にも彼の作品が相当なスペースを使って展示してあります、が、公営の美術館にこれだけ現代の個人の作品を展示するというのは、よく理解できないところであります。
彼が弘前市出身だからですか、なるほど。
このカップルのポーズ、笑えますな。
[あおもり犬]
週末の今日は、箱根に一泊二日のお付き合いの旅。あと1時間後に隠れ家を出ます。
青森市の街なかの棟方志功美術館がだいぶ前に閉館して、現在はその作品が県立美術館に展示されているので、三内丸山を見てから徒歩で行ってみました。
[青森県立美術館]
初めて行ったのですが、入り口が何カ所もあるようで、入館してからも展示室への移動がちんぷんかんぷんで、広さの割りにはやたら時間をかけて回りました。
エレベーターでB2Fへ、最初の吹き抜けの部屋にはシャガールのでっかい作品が部屋の四方向に飾ってありました。
[シャガール]
B1Fが棟方志功の作品を展示していますが、正直いって倉敷の大原美術館の棟方志功コレクションの方が見ごたえがありました。
[棟方志功]
この美術館のウリは「あおもり犬」で、奈良美智氏の作品ですが、野外のこの場所にたどり着くのにやたら階段を上り下りしてシルバー世代の入場者はブーブー文句、この美術館の設計者の悪意みたいなものを感じましたな。
他にも彼の作品が相当なスペースを使って展示してあります、が、公営の美術館にこれだけ現代の個人の作品を展示するというのは、よく理解できないところであります。
彼が弘前市出身だからですか、なるほど。
このカップルのポーズ、笑えますな。
[あおもり犬]
週末の今日は、箱根に一泊二日のお付き合いの旅。あと1時間後に隠れ家を出ます。
2024年06月28日
縄文遺跡に女ごころを見た
昔むかしに中学校で習った日本史とは一体何だったんだろうか? と思うほど、日本の歴史特に古代史のあっと驚く事実がいろいろ明らかになっています。
特に近年の考古学上の大発見により、縄文人のすごさが分かってきてワクワクします。
縄文時代は1万数千年も続いたので、とてもとても簡単には語れませんが、三内丸山遺跡の出土品を見てますますそう思いました。
学校の教科書では、縄文時代は一言でいえば狩猟や漁や木の実を採取しながらあちこちと移動して生活していた原始人の時代で、縄目のある土器を使っていた、というようなウソ八百を習っていたわけです。
縄文時代で一番のポイントは、1万年以上の縄文時代は戦争がなかったということです。
その証拠は、縄文の遺跡の出土品からは、人を殺傷するような武器が何一つ発見されていないということで証明されます。
刃物や矢じりや石斧などはもちろん出土しますが、それらは戦争の武器ではありません。
三内丸山遺跡は縄文時代の前期から中期にかけて、人々が一か所に定住して1500年もの間繫栄した遺跡なのです。
縄文1万年以上の中の1500年というのは大したことないと思ってしまいますが、今から1500年前といえば、あの聖徳太子さえ生まれてもいなかったほど昔なのです。
この1500年間に日本人はどれほどの戦争をしてきたのかと考えると、縄文時代のすごさが分かります。
縄文人のすごさについてはまだまだスケールの大きな話もありますが、まずは三内丸山遺跡の発掘品を少し写真でアップします。
とにかく信じられないほどの数の膨大な出土品なのです。
これらの縄文土器のすべてが、国指定の重要文化財。
[縄文土器群]
特に目を引いたのがヒスイ製の大珠で、これは糸魚川のヒスイでしょう。他にも北海道の黒曜石の石器や久慈の瑪瑙(めのう)など、この時代にはすでに遠方との交易があったことも分かっています。
将来の国宝候補かな。
[ヒスイ]
これは骨などを加工した針、これらの針をまとめて入れておく小物容器まで見つかっています。
[裁縫道具]
遥か昔の女心を感じたのが、細かい細工を施したこのヘアピンです。
こういう物を使うほど、三内丸山の集落で暮らしていた人たちは平和で心に余裕があったのでしょう。
[女心]
土偶のデザインも秀逸ですな。
遥か西方のオリエント文化の出土品との共通点をかんじませんか?
[土偶]
縄文人は実は世界規模の民族移動をして、世界各地の古代文明を作ったという説もあるのですが、この土偶のデザインを見ると、さもありなんと思ってしまうのです。
全部クリックしてど~ぞ!
[オリエントの香り]
特に近年の考古学上の大発見により、縄文人のすごさが分かってきてワクワクします。
縄文時代は1万数千年も続いたので、とてもとても簡単には語れませんが、三内丸山遺跡の出土品を見てますますそう思いました。
学校の教科書では、縄文時代は一言でいえば狩猟や漁や木の実を採取しながらあちこちと移動して生活していた原始人の時代で、縄目のある土器を使っていた、というようなウソ八百を習っていたわけです。
縄文時代で一番のポイントは、1万年以上の縄文時代は戦争がなかったということです。
その証拠は、縄文の遺跡の出土品からは、人を殺傷するような武器が何一つ発見されていないということで証明されます。
刃物や矢じりや石斧などはもちろん出土しますが、それらは戦争の武器ではありません。
三内丸山遺跡は縄文時代の前期から中期にかけて、人々が一か所に定住して1500年もの間繫栄した遺跡なのです。
縄文1万年以上の中の1500年というのは大したことないと思ってしまいますが、今から1500年前といえば、あの聖徳太子さえ生まれてもいなかったほど昔なのです。
この1500年間に日本人はどれほどの戦争をしてきたのかと考えると、縄文時代のすごさが分かります。
縄文人のすごさについてはまだまだスケールの大きな話もありますが、まずは三内丸山遺跡の発掘品を少し写真でアップします。
とにかく信じられないほどの数の膨大な出土品なのです。
これらの縄文土器のすべてが、国指定の重要文化財。
[縄文土器群]
特に目を引いたのがヒスイ製の大珠で、これは糸魚川のヒスイでしょう。他にも北海道の黒曜石の石器や久慈の瑪瑙(めのう)など、この時代にはすでに遠方との交易があったことも分かっています。
将来の国宝候補かな。
[ヒスイ]
これは骨などを加工した針、これらの針をまとめて入れておく小物容器まで見つかっています。
[裁縫道具]
遥か昔の女心を感じたのが、細かい細工を施したこのヘアピンです。
こういう物を使うほど、三内丸山の集落で暮らしていた人たちは平和で心に余裕があったのでしょう。
[女心]
土偶のデザインも秀逸ですな。
遥か西方のオリエント文化の出土品との共通点をかんじませんか?
[土偶]
縄文人は実は世界規模の民族移動をして、世界各地の古代文明を作ったという説もあるのですが、この土偶のデザインを見ると、さもありなんと思ってしまうのです。
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[オリエントの香り]
2024年06月27日
福井 丸岡城の急階段には驚く
大人の休日俱楽部5日間パスの3日目はJR東を飛び出して福井に行ってきましたが、目的の一つが丸岡城に行くことでした。
現在江戸時代から城の天守閣が現存しているのが12城ありますが、北陸で唯一の現存天守が丸岡城です。
アクセスは福井駅からバスで50分、車だと20分くらいで行けるようですが、路線バスは町の中を蛇行するように回っていくのでそのくらいかかります。
世間的にはあまり有名ではなく地味な印象ですが、実際行ってみて、いやぁ~小さいながらもとても個性的で行ってよかったです。
天守は野面積みの石垣の上に作られて、一見二階建てのようですが内部は三階構造。
バランスのいい見た目です。
[丸岡城]
この天守の特徴は内部の階段の急こう配で、一般的に昔の城はどれも急階段で上に登っていきますが、この丸岡城天守のそれは急階段というよりもほとんどハシゴです。
最初の階段は勾配が65度。手すりとロープにつかまって上がっていきます。
[勾配65度]
次の階段は部屋の隅っこにあって、さらに急で勾配が67度あり踏み段の奥行きは12センチ、登りながら、下りはこのハシゴをどうやって降りようか悩んでしまいました。
こちらはフリーハンドではなくてカメラとカメラバッグを提げてるのよね~
もちろん登り下りをすれ違うのは無理なので、グループ全員が一人ずつ下り切るまで待ちます。
多分一人だったら相当悩んだと思うのですが、口伝えでお互いに教えあって、どうやら横向きでロープと手すりにつかまって降りるのがいいということでした。
なるほど、そうすると登山の岩場登りの3点支持の原理で、安定して降りることができました。
[3点支持]
この天守のさらなる特徴は、屋根の瓦2000枚が焼き物ではなくて石を削って作ってある石瓦なので、重量が1枚20~50キロあるということです。
[石瓦]
丸岡城は昭和9年に国宝に指定されましたが、昭和23年の福井地震で倒壊、昭和30年に元の部材をほとんど使って再建されて現在重文です。
これで現存12城はすべて現地に行ったことになるのですが、四国の4城は大学時代に行ったので、果たして天守に登ったのか記憶が全くありません(貧乏旅行だったので)。
なので、まだ元気なうちに四国をまた巡ってみましょうかな。
天守からは丸岡の屋根並みと遠くに延伸なった北陸新幹線が見えます。
ちょうどやってくる時間だったので少し待って撮影しましたが、車輛の色の上半分はアイボリー色で、しかも線路には町近くは防音壁があるので、撮ってもよく見えませんでした。
写真の矢印の所を走っていますが、分かんねえだろ~なぁ。
全部クリックしてど~ぞ!
[北陸新幹線]
現在江戸時代から城の天守閣が現存しているのが12城ありますが、北陸で唯一の現存天守が丸岡城です。
アクセスは福井駅からバスで50分、車だと20分くらいで行けるようですが、路線バスは町の中を蛇行するように回っていくのでそのくらいかかります。
世間的にはあまり有名ではなく地味な印象ですが、実際行ってみて、いやぁ~小さいながらもとても個性的で行ってよかったです。
天守は野面積みの石垣の上に作られて、一見二階建てのようですが内部は三階構造。
バランスのいい見た目です。
[丸岡城]
この天守の特徴は内部の階段の急こう配で、一般的に昔の城はどれも急階段で上に登っていきますが、この丸岡城天守のそれは急階段というよりもほとんどハシゴです。
最初の階段は勾配が65度。手すりとロープにつかまって上がっていきます。
[勾配65度]
次の階段は部屋の隅っこにあって、さらに急で勾配が67度あり踏み段の奥行きは12センチ、登りながら、下りはこのハシゴをどうやって降りようか悩んでしまいました。
こちらはフリーハンドではなくてカメラとカメラバッグを提げてるのよね~
もちろん登り下りをすれ違うのは無理なので、グループ全員が一人ずつ下り切るまで待ちます。
多分一人だったら相当悩んだと思うのですが、口伝えでお互いに教えあって、どうやら横向きでロープと手すりにつかまって降りるのがいいということでした。
なるほど、そうすると登山の岩場登りの3点支持の原理で、安定して降りることができました。
[3点支持]
この天守のさらなる特徴は、屋根の瓦2000枚が焼き物ではなくて石を削って作ってある石瓦なので、重量が1枚20~50キロあるということです。
[石瓦]
丸岡城は昭和9年に国宝に指定されましたが、昭和23年の福井地震で倒壊、昭和30年に元の部材をほとんど使って再建されて現在重文です。
これで現存12城はすべて現地に行ったことになるのですが、四国の4城は大学時代に行ったので、果たして天守に登ったのか記憶が全くありません(貧乏旅行だったので)。
なので、まだ元気なうちに四国をまた巡ってみましょうかな。
天守からは丸岡の屋根並みと遠くに延伸なった北陸新幹線が見えます。
ちょうどやってくる時間だったので少し待って撮影しましたが、車輛の色の上半分はアイボリー色で、しかも線路には町近くは防音壁があるので、撮ってもよく見えませんでした。
写真の矢印の所を走っていますが、分かんねえだろ~なぁ。
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[北陸新幹線]
2024年06月26日
明月院のガクアジサイなど
明月院には数は少ないながらもいろいろな種類の紫陽花が咲いていました。
最初に見つけたのが花びら(本当は花びらではないようですが)が紫に縁どられた紫陽花。
[フチムラサキ?]
ごく少数ながらも赤い紫陽花もありました。
紫陽花の色は土壌のPHで決まるそうなので、この根元に犬か猫でもオシッコしたのかな?
[アルカリ性土壌]
その他の紫陽花の中では、やはりガクアジサイが一番多かったようです。
色がちょいと紫傾向のガクアジサイ。
[ガクアジサイ]
背丈が高いので緑の木々の葉を背景に選びました。
[光透かす]
3体の地蔵とガクアジサイ、これだけちょっといい感じっぽい写真なのですが、なんで千代大龍?
住職が格闘技ファンなのでしょうか。
全部クリックしてど~ぞ!
[地蔵]
最初に見つけたのが花びら(本当は花びらではないようですが)が紫に縁どられた紫陽花。
[フチムラサキ?]
ごく少数ながらも赤い紫陽花もありました。
紫陽花の色は土壌のPHで決まるそうなので、この根元に犬か猫でもオシッコしたのかな?
[アルカリ性土壌]
その他の紫陽花の中では、やはりガクアジサイが一番多かったようです。
色がちょいと紫傾向のガクアジサイ。
[ガクアジサイ]
背丈が高いので緑の木々の葉を背景に選びました。
[光透かす]
3体の地蔵とガクアジサイ、これだけちょっといい感じっぽい写真なのですが、なんで千代大龍?
住職が格闘技ファンなのでしょうか。
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[地蔵]
2024年06月25日
明月院ブルー
さあ大人の休日俱楽部5日間パスの5日目は、朝になってから信州の紫陽花名所でも行ってみようかと検索してみたのですが、どの場所も車がないと厳しそうなロケーションでさっさと諦めました。
鎌倉の紫陽花はもうさすがに終わりだろうと思っていましたが、調べてみたらなんとかいけそうです。
ならばダメもとで北鎌倉 明月院に行ってみよう、混雑必死ですが月曜日の午前なので週末よりはマシなはず。
というわけで7時半過ぎの新幹線に飛び乗って、東京からはグリーン車750円で(ギリギリ50㌔以内)で行ってきました。
江ノ電には時々行きますが、北鎌倉はかなり久しぶり。
散歩するには鎌倉の町の中よりいい感じです。
明月院の混雑は、人は多いけれど混雑と表現するほどではない、くらいですが、中韓人とツアー客の割合が多かったです。
[絵馬]
明月院もかなり久しぶりで、細かい記憶は曖昧です。
近年明月院ブルーとかいう表現でますます人が集まるようですが、今日はその明月院ブルーの紫陽花を数枚。
三脚がないので、凝った写真は撮れません。
[明月院ブルー]
とはいえ特別な品種ではないので、正確にはどこにでもある紫陽花のはずです。
人が多いので「石段の参道と紫陽花」なんていうパンフレットみたいな撮影は無理。
当然ながら三脚一脚禁止。
近寄って撮るだけならば、わざわざ鎌倉まで行って撮るほどの景色でもありません。
京都のように背景に雰囲気のある建物を入れたりできればいいのでしょうが、そのような場所もほとんどないようです。
ただ前日が雨だったので日陰の紫陽花の葉にはまだ水滴が残っていて、そのような木の紫陽花は乾いていないので色のノリがまあまあでした。
本当は紫陽花は小雨の時に撮るのが一番です。
[木漏れ日]
明月院といえば悟りの窓という丸窓が人気ですが、昨日はそれほど並ばずに撮れました。
ここにも明月院ブルーが活けてありますが、窓の向こうの庭園には花菖蒲が終わったのに300円追加で払ってウロウロする人が見えて、その人が見えない瞬間を狙ってパチリです。
とてもじゃないが悟れる心境どころではありません。
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[悟りの窓]
鎌倉の紫陽花はもうさすがに終わりだろうと思っていましたが、調べてみたらなんとかいけそうです。
ならばダメもとで北鎌倉 明月院に行ってみよう、混雑必死ですが月曜日の午前なので週末よりはマシなはず。
というわけで7時半過ぎの新幹線に飛び乗って、東京からはグリーン車750円で(ギリギリ50㌔以内)で行ってきました。
江ノ電には時々行きますが、北鎌倉はかなり久しぶり。
散歩するには鎌倉の町の中よりいい感じです。
明月院の混雑は、人は多いけれど混雑と表現するほどではない、くらいですが、中韓人とツアー客の割合が多かったです。
[絵馬]
明月院もかなり久しぶりで、細かい記憶は曖昧です。
近年明月院ブルーとかいう表現でますます人が集まるようですが、今日はその明月院ブルーの紫陽花を数枚。
三脚がないので、凝った写真は撮れません。
[明月院ブルー]
とはいえ特別な品種ではないので、正確にはどこにでもある紫陽花のはずです。
人が多いので「石段の参道と紫陽花」なんていうパンフレットみたいな撮影は無理。
当然ながら三脚一脚禁止。
近寄って撮るだけならば、わざわざ鎌倉まで行って撮るほどの景色でもありません。
京都のように背景に雰囲気のある建物を入れたりできればいいのでしょうが、そのような場所もほとんどないようです。
ただ前日が雨だったので日陰の紫陽花の葉にはまだ水滴が残っていて、そのような木の紫陽花は乾いていないので色のノリがまあまあでした。
本当は紫陽花は小雨の時に撮るのが一番です。
[木漏れ日]
明月院といえば悟りの窓という丸窓が人気ですが、昨日はそれほど並ばずに撮れました。
ここにも明月院ブルーが活けてありますが、窓の向こうの庭園には花菖蒲が終わったのに300円追加で払ってウロウロする人が見えて、その人が見えない瞬間を狙ってパチリです。
とてもじゃないが悟れる心境どころではありません。
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[悟りの窓]
2024年06月24日
夏至の日の出
今日は大人の休日俱楽部5日間パスの最終日、昨日の土砂降りから一転して、雲の切れ間に青空が見えています。
さてこの乗り放題パスを使って、初日は山形を出て青森の三内丸山遺跡と県立美術館を見て高崎の隠れ家へ。
2日目は休養日にしたかったのですが雨の週末だったので、朝から都内の都知事選、石丸伸二候補の街頭演説を聞きに神保町交差点へ。
3日目はこのパスとジパング割引きを使って福井まで。北陸新幹線延伸部分の乗り鉄と福井市内の路面電車の一部乗り鉄と丸岡城を見てから敦賀に宿泊。
4日目は大雨予想だったので鯖街道をあきらめてさっさと高崎に戻り、午後から土砂降りの軽井沢ハルニレテラスへ。
とまあ、毎日忙しく、撮った写真もまだ全部に目を通す時間もありません。
最後の5日目はどうするか、このまま休養日にするかそれももったいないし、今から考えます。
2日目からは天気がすぐれず、例年よりもかなり遅れての梅雨入り後の雨の多い日がもう少し続くようですが、せっかく昼の時間の長い時期に梅雨空はおもしろくありません。
今年の夏至は6月21日でしたが写真は22日の朝の日の出です。
日の出の太陽の位置が12月の冬至の日には右側の鉄塔のさらに右まで移動するので、半年間でこの間を移動します。
眺めがいいのでその季節の移り変わりが、かなりアバウトな日時計のような感じで実感できます。
山形は緯度が高いので夏至の頃は朝の4時過ぎにはもう明るくなりますが、この写真は4時36分です。
[夏至の日の出]
その反対側の西のマンション群の窓に反射して、西の空にも夏至の日の出が見られますが、こちらも冬至の頃には窓に反射する場所が、写真の左端よりもさらに左のヤマダデンキのガラス面まで移動します。
全部クリックしてど~ぞ!
[夏至の西空]
さてこの乗り放題パスを使って、初日は山形を出て青森の三内丸山遺跡と県立美術館を見て高崎の隠れ家へ。
2日目は休養日にしたかったのですが雨の週末だったので、朝から都内の都知事選、石丸伸二候補の街頭演説を聞きに神保町交差点へ。
3日目はこのパスとジパング割引きを使って福井まで。北陸新幹線延伸部分の乗り鉄と福井市内の路面電車の一部乗り鉄と丸岡城を見てから敦賀に宿泊。
4日目は大雨予想だったので鯖街道をあきらめてさっさと高崎に戻り、午後から土砂降りの軽井沢ハルニレテラスへ。
とまあ、毎日忙しく、撮った写真もまだ全部に目を通す時間もありません。
最後の5日目はどうするか、このまま休養日にするかそれももったいないし、今から考えます。
2日目からは天気がすぐれず、例年よりもかなり遅れての梅雨入り後の雨の多い日がもう少し続くようですが、せっかく昼の時間の長い時期に梅雨空はおもしろくありません。
今年の夏至は6月21日でしたが写真は22日の朝の日の出です。
日の出の太陽の位置が12月の冬至の日には右側の鉄塔のさらに右まで移動するので、半年間でこの間を移動します。
眺めがいいのでその季節の移り変わりが、かなりアバウトな日時計のような感じで実感できます。
山形は緯度が高いので夏至の頃は朝の4時過ぎにはもう明るくなりますが、この写真は4時36分です。
[夏至の日の出]
その反対側の西のマンション群の窓に反射して、西の空にも夏至の日の出が見られますが、こちらも冬至の頃には窓に反射する場所が、写真の左端よりもさらに左のヤマダデンキのガラス面まで移動します。
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2024年06月23日
大人の休日パス+ジパングで福井に行ってきた
ちょうど去年の今頃にも北陸三都の旅と称して福井に行ったのですが、まだ新幹線の延伸前9ヶ月だったので、平日ということもあり駅前から町の中は暗く沈んでいました。
人口が山形市と同じくらいなので、まあ山形市と同じかなと思っていましたが、新幹線効果なのか駅前再開発が進んでいるのか、去年とは大きく様相が変わっていました。
今の福井の一押しは恐竜。
駅の壁面にもあちらこちらで恐竜の絵が描いてあります。
[福井駅壁面]
それだけではなく駅前ロータリーのは実際に動くロボット恐竜が4匹。
これは肉食恐竜ですな。名前はすぐには浮かびません。ナントカサウルスですな。
どすの利いた声で吠えるので、子供がマジで怖がっていました。
[肉食]
こちらは草食の巨大恐竜、おなじみの姿です。
[巨大恐竜]
今回の福井の目的は 1)福井県に宿泊すること(これで全県宿泊制覇)2)丸岡城に行くこと 3)鯖街道の熊川宿に行くこと の3つでしたが、大雨の予報が出ていたので3)は断念しました。
ここには滋賀県の琵琶湖側からもバス路線があるので、京都にでも行った時に再チャレンジします。
福井で最近のお気に入りは、福井の蕎麦は美味い。山形も美味いけれど、自分的にはこっちが好きかも。信州信濃の蕎麦よりは間違いなく断然絶対美味いです。
特にお気に入りがおろしそば。
大根おろしを蕎麦にのせるのではなくて、福井ではあらかじめ蕎麦つゆに大根おろしが入っていて、それを上からぶっかけるのです。
写真は丸岡城の所で食べたおろし蕎麦。普通盛りですが蕎麦が2つの器に盛られています。
全部クリックしてど~ぞ!
[おろし蕎麦]
人口が山形市と同じくらいなので、まあ山形市と同じかなと思っていましたが、新幹線効果なのか駅前再開発が進んでいるのか、去年とは大きく様相が変わっていました。
今の福井の一押しは恐竜。
駅の壁面にもあちらこちらで恐竜の絵が描いてあります。
[福井駅壁面]
それだけではなく駅前ロータリーのは実際に動くロボット恐竜が4匹。
これは肉食恐竜ですな。名前はすぐには浮かびません。ナントカサウルスですな。
どすの利いた声で吠えるので、子供がマジで怖がっていました。
[肉食]
こちらは草食の巨大恐竜、おなじみの姿です。
[巨大恐竜]
今回の福井の目的は 1)福井県に宿泊すること(これで全県宿泊制覇)2)丸岡城に行くこと 3)鯖街道の熊川宿に行くこと の3つでしたが、大雨の予報が出ていたので3)は断念しました。
ここには滋賀県の琵琶湖側からもバス路線があるので、京都にでも行った時に再チャレンジします。
福井で最近のお気に入りは、福井の蕎麦は美味い。山形も美味いけれど、自分的にはこっちが好きかも。信州信濃の蕎麦よりは間違いなく断然絶対美味いです。
特にお気に入りがおろしそば。
大根おろしを蕎麦にのせるのではなくて、福井ではあらかじめ蕎麦つゆに大根おろしが入っていて、それを上からぶっかけるのです。
写真は丸岡城の所で食べたおろし蕎麦。普通盛りですが蕎麦が2つの器に盛られています。
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2024年06月22日
雨の日の街頭演説
昨日は休養日の予定でしたが、乗り放題パスがあるので東京都知事選の街頭演説を聞きに、いや見に神田神保町交差点に行ってみました。
街宣車がやってきましたがあいにくの雨。
待ち構えていた人たちは、半分くらいは東京都以外の人のようでした。
隣の人は出身が広島で現在は岡山在住、旦那の週末の仕事にくっついてきて、応援に来たようでした。
[神保町交差点]
まず選対委員長の小田全宏氏の挨拶ですが、このかたは今回の選挙で初めて知りましたが、どうやらすごい人物のようですな。
[選対委員長]
そして候補者の挨拶ですが、ちょっとお疲れとお見受けしましたが。
コロナがまだ猛威を振るっていますので、感染対策は万全に。
もし感染してしまうと、5日間街宣ができません。
[候補者]
今日はひこにゃんの彦根市の市長が駆けつけてご挨拶。
その間に候補者は支持者との撮影タイムですが、コロナ感染に気をつけてほしいものですな。
[撮影タイム]
雨が降って、前日の街宣に比べて盛り上がりに欠けましたが、この雨ではしょうがないでしょうな。
何とか頑張って東京を動かしてほしいものです。
全部クリックしてど~ぞ!
[雨の街宣]
今日は今から乗り放題パスで福井に行きます。
明日が大雨予報なので、鯖街道の宿場町訪問はあきらめて、とっとと帰ってくることになりそうですな。
街宣車がやってきましたがあいにくの雨。
待ち構えていた人たちは、半分くらいは東京都以外の人のようでした。
隣の人は出身が広島で現在は岡山在住、旦那の週末の仕事にくっついてきて、応援に来たようでした。
[神保町交差点]
まず選対委員長の小田全宏氏の挨拶ですが、このかたは今回の選挙で初めて知りましたが、どうやらすごい人物のようですな。
[選対委員長]
そして候補者の挨拶ですが、ちょっとお疲れとお見受けしましたが。
コロナがまだ猛威を振るっていますので、感染対策は万全に。
もし感染してしまうと、5日間街宣ができません。
[候補者]
今日はひこにゃんの彦根市の市長が駆けつけてご挨拶。
その間に候補者は支持者との撮影タイムですが、コロナ感染に気をつけてほしいものですな。
[撮影タイム]
雨が降って、前日の街宣に比べて盛り上がりに欠けましたが、この雨ではしょうがないでしょうな。
何とか頑張って東京を動かしてほしいものです。
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明日が大雨予報なので、鯖街道の宿場町訪問はあきらめて、とっとと帰ってくることになりそうですな。
2024年06月21日
縄文時代の集落遺跡
今年の夏至は今日です。明日からはお昼の時間は下り坂。
昨日から大人の休日俱楽部5日間乗り放題パスが始まったのですが、東北新幹線混んでますな。
ほぼ満席で、ゆったり移動になりませんでした。
カメラはフットワーク重視でオリンパスPEN-F。
仙台を7時半過ぎのはやぶさで新青森へ。
新青森駅のモニュメントです。ねぶたの棟方志功の板画タッチかな。
[新青森駅]
三内丸山遺跡はここから2.5㌔、バスの待ち時間がもったいないのでタクシー移動です。
駅前にはタクシーが2台しか待機していなくて、どうやら昨日はクルーズ船が青森港に着岸したので、市内観光にタクシーが駆り出されて台数不足とのことでした。
三内丸山遺跡では遺跡現場に行く前に出土品をいろいろ見ましたがそれは明日にでも。
復元した大屋根の住居と。当時の高層階のランドマークの柱復元。
実際の屋根はどんな形だったのかがまだ不明なので、この状態で復元は止めているようです。
[ランドマーク]
外は結構暑くなってきましたが、中は地面を掘ってあるので涼しいのです。
この当時は青森といえども気温は現代よりも5℃ほど高くて温暖なので、縄文遺跡は北海道南部まで見つかっているのです。
大屋根住居の中から入り口の外をパチリ。
全部クリックしてど~ぞ!
[玄関]
昨日から大人の休日俱楽部5日間乗り放題パスが始まったのですが、東北新幹線混んでますな。
ほぼ満席で、ゆったり移動になりませんでした。
カメラはフットワーク重視でオリンパスPEN-F。
仙台を7時半過ぎのはやぶさで新青森へ。
新青森駅のモニュメントです。ねぶたの棟方志功の板画タッチかな。
[新青森駅]
三内丸山遺跡はここから2.5㌔、バスの待ち時間がもったいないのでタクシー移動です。
駅前にはタクシーが2台しか待機していなくて、どうやら昨日はクルーズ船が青森港に着岸したので、市内観光にタクシーが駆り出されて台数不足とのことでした。
三内丸山遺跡では遺跡現場に行く前に出土品をいろいろ見ましたがそれは明日にでも。
復元した大屋根の住居と。当時の高層階のランドマークの柱復元。
実際の屋根はどんな形だったのかがまだ不明なので、この状態で復元は止めているようです。
[ランドマーク]
外は結構暑くなってきましたが、中は地面を掘ってあるので涼しいのです。
この当時は青森といえども気温は現代よりも5℃ほど高くて温暖なので、縄文遺跡は北海道南部まで見つかっているのです。
大屋根住居の中から入り口の外をパチリ。
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