2012年11月
2012年11月09日
2012年11月07日
2012年11月05日
紅葉の基準木
連休は高崎出張だったので、ついでに足を延ばして安曇野の紅葉を楽しみに行ってみたのですが・・・
いやぁ~、今年は紅葉が遅いですね。一週間以上遅れているのではないでしょうか。
しかも10月が暑かった(個人的にはうれしかった)ためでしょうか、色の乗りが良くないです。
同じ場所に何度も行っていると、自分なりの「紅葉の基準木」というものができてきます。
自分にとっての安曇野の「紅葉の基準木」は、碌山美術館の碌山館入り口前のモミジの木。
数年前は、11月第二週末には真っ赤でしたが、その一週間前の今回はまだ緑一色で、色づく気配もありません。
なので、レンガ壁に絡みつくツタの葉の色をフィルターで強調してパチリ。これは肉眼の光景ではなく、10日後にはたぶんこんなかなという光景です。

[秋衣装]
建物の裏の方に色づいたカエデがあったので、肉眼でもこの程度撮れました。

[秋彩]
アートヒルズでパスタの昼食後、周辺をウロウロしながら生ワサビを買いに大王わさび農場へ。
快晴なのでこちらからの北アルプスは絶景です。

[北アルプス]
近くの清流の土手で、これを描く絵画グループ。新潟から4時間運転してきたそうです。

[絵画日和]
生ワサビをゲット後は碌山美術館に再入場して、ちょうど白樺の黄葉だけに日が当たった瞬間に塔の鐘を撮ったこの日の1枚。
全部クリックしてど~ぞ。

[鐘]
いやぁ~、今年は紅葉が遅いですね。一週間以上遅れているのではないでしょうか。
しかも10月が暑かった(個人的にはうれしかった)ためでしょうか、色の乗りが良くないです。
同じ場所に何度も行っていると、自分なりの「紅葉の基準木」というものができてきます。
自分にとっての安曇野の「紅葉の基準木」は、碌山美術館の碌山館入り口前のモミジの木。
数年前は、11月第二週末には真っ赤でしたが、その一週間前の今回はまだ緑一色で、色づく気配もありません。
なので、レンガ壁に絡みつくツタの葉の色をフィルターで強調してパチリ。これは肉眼の光景ではなく、10日後にはたぶんこんなかなという光景です。

[秋衣装]
建物の裏の方に色づいたカエデがあったので、肉眼でもこの程度撮れました。

[秋彩]
アートヒルズでパスタの昼食後、周辺をウロウロしながら生ワサビを買いに大王わさび農場へ。
快晴なのでこちらからの北アルプスは絶景です。

[北アルプス]
近くの清流の土手で、これを描く絵画グループ。新潟から4時間運転してきたそうです。

[絵画日和]
生ワサビをゲット後は碌山美術館に再入場して、ちょうど白樺の黄葉だけに日が当たった瞬間に塔の鐘を撮ったこの日の1枚。
全部クリックしてど~ぞ。

[鐘]
2012年11月02日
もう一つの東京駅
東京駅が完全復元されて大人気ですが、我々の世代にとってはスカイツリーよりもうれしい出来事です。
この赤レンガ造りの丸の内側駅舎は、皇居に向かってまるで横綱の土俵入りのような形をしています。
中央口の横綱、北口と南口の太刀持ちと露払い。
また、皇居に向かって翼を広げる鳳凰のような形に見えなくもありません。
あと2年で竣工から100年、「100年駅舎」の仲間入りです。

[夕暮れ時]
帰りの新幹線の発車時刻に30分ほど余裕があるときには、外から中からこの建物を眺めながらブラブラ時間を過ごすには、ちょうどいい感じです。
ドームの直下はこんなふうに、天井を見上げて撮影する人でいつも一杯です。

[上を向いて撮ろう]
さて東京駅の設計者は明治の建築界の重鎮、辰野金吾なのは有名で、全国に銀行などの彼の作品が残っていますが、実は東京駅ができる7年前に、彼が初めて手がけた駅舎が残っているのをご存知でしょうか?
それは南海電鉄の浜寺公園駅。
当時の一大リゾート地だった浜寺公園の前に、東京駅よりも7年前に完成した木造駅舎で、現在も現役です。
天王寺から阪堺電車に乗って終点の、浜寺駅前からもすぐの場所です。
まるで大東京駅のミニチュア版ですが、中央の改札口と左右の待合室と事務室は、基本的な造りが東京駅とそっくり、東京駅の試作品のような感じです。
きっと東京駅設計時の辰野の頭の中には、この浜寺公園駅があったことは間違いないでしょう。
この100年駅舎の浜寺公園駅も、あと5年ほどで現役引退が決まっているようで、近くに移転保存されるようですが、旧軽井沢駅舎のようになっては魅力がなくなります。
門司港駅のように現役で使われるからこそ、わざわざ行ってみようという気にもなることを、行政の人はわかってほしいと思います。
写真は阪堺電車乗車の時に行ってみた浜寺公園駅舎。
この品の良さは、とても100歳過ぎの超高齢舎には見えません。
全部クリックしてど~ぞ。

[木造100年駅舎]
この赤レンガ造りの丸の内側駅舎は、皇居に向かってまるで横綱の土俵入りのような形をしています。
中央口の横綱、北口と南口の太刀持ちと露払い。
また、皇居に向かって翼を広げる鳳凰のような形に見えなくもありません。
あと2年で竣工から100年、「100年駅舎」の仲間入りです。

[夕暮れ時]
帰りの新幹線の発車時刻に30分ほど余裕があるときには、外から中からこの建物を眺めながらブラブラ時間を過ごすには、ちょうどいい感じです。
ドームの直下はこんなふうに、天井を見上げて撮影する人でいつも一杯です。

[上を向いて撮ろう]
さて東京駅の設計者は明治の建築界の重鎮、辰野金吾なのは有名で、全国に銀行などの彼の作品が残っていますが、実は東京駅ができる7年前に、彼が初めて手がけた駅舎が残っているのをご存知でしょうか?
それは南海電鉄の浜寺公園駅。
当時の一大リゾート地だった浜寺公園の前に、東京駅よりも7年前に完成した木造駅舎で、現在も現役です。
天王寺から阪堺電車に乗って終点の、浜寺駅前からもすぐの場所です。
まるで大東京駅のミニチュア版ですが、中央の改札口と左右の待合室と事務室は、基本的な造りが東京駅とそっくり、東京駅の試作品のような感じです。
きっと東京駅設計時の辰野の頭の中には、この浜寺公園駅があったことは間違いないでしょう。
この100年駅舎の浜寺公園駅も、あと5年ほどで現役引退が決まっているようで、近くに移転保存されるようですが、旧軽井沢駅舎のようになっては魅力がなくなります。
門司港駅のように現役で使われるからこそ、わざわざ行ってみようという気にもなることを、行政の人はわかってほしいと思います。
写真は阪堺電車乗車の時に行ってみた浜寺公園駅舎。
この品の良さは、とても100歳過ぎの超高齢舎には見えません。
全部クリックしてど~ぞ。

[木造100年駅舎]