2023年02月27日
大回り乗車 その2(八王子→鶴見)
記録記事その2です。
八王子の蕎麦朝食が終わって時間が余ったので、少し早めに横浜線で橋本に向かいます。
この区間も初乗車、橋本駅はホームに蕎麦屋と日高屋があって、これは便利ですな。
橋本からは相模線に乗り換えて茅ヶ崎まで向かいますが、もちろんこの路線も初乗車。
相模線の車両カラーは青空の色、早春の旅を盛り上げてくれます。
[相模線]
初乗車路線なので一番先頭に乗って沿線観察。
相模線は最初は単線で、途中駅での下り列車待ち合わせが数回ありましたが、海老名あたりからは複線になって、急にビルと乗客が増えてきます。
車内のドアガラス越しからも満開の梅の花。
[早春景色]
茅ヶ崎駅ホームは町の大きさに比べて乗降客がかなり多くてびっくりします。
湘南海岸のもっとのどかな街をイメージしていました。
東京まで通勤圏なので、人気の藤沢から茅ヶ崎の方まで人が溢れてきているのでしょうか。
鶴見線の発車時間が決まっているので(都会の秘境線なので)時間に余裕があるので藤沢駅で途中下車。
ホームにある湘南電車のコンビニを久しぶりにパチリ。
[湘南電車]
そして大船で京浜東北線に乗り換えて鶴見まで行ったのですが、考えてみたら京浜東北線も新杉田~大船間は未乗車でした。
そしていよいよ鉄道のカオス地帯の鶴見線乗車です。
今までは鶴見線に乗るためには、鶴見駅の改札を通ってからもう一回鶴見線だけの改札を通る必要があって、大回り乗車は自動改札が通らないので有人改札で大回り乗車だと申告する必要があったのです。
その関所が取り払われて、撤去の生々しい痕跡を過ぎて鶴見線のホームに到着。
鶴見線はもともと国鉄とは別の鉄道だったのでこのような構造になっていて、ここから京浜工業地帯の中を扇町までつながっていますが、途中に2つの支線があって、その特殊性から鉄ちゃんたちの聖地みたいになっています。
乗客のほとんどがこれらの工場の従業員で、改札の外はもう直接工場の敷地、改札を通れるのはその工場の従業員のみという駅もあるのです。
今回は大回り乗車で戻れないので、唯一乗り換えのできる浜川崎まで乗車します。
休日は列車本数が極端に少なくて、特に支線の先まで行く列車は朝晩だけという状況です。
ここが鶴見線ホーム、ホームのたくさんの人はほとんどがこの先1つか2つ目の駅で降りてしまいます。残るはリュックを背負った鉄ちゃんだけ。
[鶴見線ホーム]
今回は少しゆっくりなので、昭和の香りぷんぷんのホームを観察してみたら、面白いものを見つけました。
この発車ベルはまだ現役なのでしょうか、たぶん現役でしょうな。
はよいか、一瞬関西弁かと思いました。
[はよいかんと]
その先には鶴見線の歴史の説明書きと、そのわきの古い時計。
[古時計]
その下のプレートに刻まれていたのは「贈 皆さんお元気で」「朝鮮民主主義人民共和國 鶴見地区帰國者一同」。
そうそう、昭和30年代初めに在日朝鮮人の帰還事業が盛んに行われて、天国の国という甘い言葉に騙されて、行ってみたら地獄だったというあの当時の人たちの記念時計のようです。
この辺は工場地帯なので、沿線には該当者が多く住んでいたのでしょう。
できればこのような事業は積極的に国策として進めてほしいものですが、もう誰も母国に戻りたいという人はいないでしょうな。
全部クリックしてど~ぞ!
[記念プレート]
八王子の蕎麦朝食が終わって時間が余ったので、少し早めに横浜線で橋本に向かいます。
この区間も初乗車、橋本駅はホームに蕎麦屋と日高屋があって、これは便利ですな。
橋本からは相模線に乗り換えて茅ヶ崎まで向かいますが、もちろんこの路線も初乗車。
相模線の車両カラーは青空の色、早春の旅を盛り上げてくれます。
[相模線]
初乗車路線なので一番先頭に乗って沿線観察。
相模線は最初は単線で、途中駅での下り列車待ち合わせが数回ありましたが、海老名あたりからは複線になって、急にビルと乗客が増えてきます。
車内のドアガラス越しからも満開の梅の花。
[早春景色]
茅ヶ崎駅ホームは町の大きさに比べて乗降客がかなり多くてびっくりします。
湘南海岸のもっとのどかな街をイメージしていました。
東京まで通勤圏なので、人気の藤沢から茅ヶ崎の方まで人が溢れてきているのでしょうか。
鶴見線の発車時間が決まっているので(都会の秘境線なので)時間に余裕があるので藤沢駅で途中下車。
ホームにある湘南電車のコンビニを久しぶりにパチリ。
[湘南電車]
そして大船で京浜東北線に乗り換えて鶴見まで行ったのですが、考えてみたら京浜東北線も新杉田~大船間は未乗車でした。
そしていよいよ鉄道のカオス地帯の鶴見線乗車です。
今までは鶴見線に乗るためには、鶴見駅の改札を通ってからもう一回鶴見線だけの改札を通る必要があって、大回り乗車は自動改札が通らないので有人改札で大回り乗車だと申告する必要があったのです。
その関所が取り払われて、撤去の生々しい痕跡を過ぎて鶴見線のホームに到着。
鶴見線はもともと国鉄とは別の鉄道だったのでこのような構造になっていて、ここから京浜工業地帯の中を扇町までつながっていますが、途中に2つの支線があって、その特殊性から鉄ちゃんたちの聖地みたいになっています。
乗客のほとんどがこれらの工場の従業員で、改札の外はもう直接工場の敷地、改札を通れるのはその工場の従業員のみという駅もあるのです。
今回は大回り乗車で戻れないので、唯一乗り換えのできる浜川崎まで乗車します。
休日は列車本数が極端に少なくて、特に支線の先まで行く列車は朝晩だけという状況です。
ここが鶴見線ホーム、ホームのたくさんの人はほとんどがこの先1つか2つ目の駅で降りてしまいます。残るはリュックを背負った鉄ちゃんだけ。
[鶴見線ホーム]
今回は少しゆっくりなので、昭和の香りぷんぷんのホームを観察してみたら、面白いものを見つけました。
この発車ベルはまだ現役なのでしょうか、たぶん現役でしょうな。
はよいか、一瞬関西弁かと思いました。
[はよいかんと]
その先には鶴見線の歴史の説明書きと、そのわきの古い時計。
[古時計]
その下のプレートに刻まれていたのは「贈 皆さんお元気で」「朝鮮民主主義人民共和國 鶴見地区帰國者一同」。
そうそう、昭和30年代初めに在日朝鮮人の帰還事業が盛んに行われて、天国の国という甘い言葉に騙されて、行ってみたら地獄だったというあの当時の人たちの記念時計のようです。
この辺は工場地帯なので、沿線には該当者が多く住んでいたのでしょう。
できればこのような事業は積極的に国策として進めてほしいものですが、もう誰も母国に戻りたいという人はいないでしょうな。
全部クリックしてど~ぞ!
[記念プレート]
urutorahurosu at 06:00│Comments(0)│旅写真