日本と古代ユダヤ人

2024年04月19日

京都と五芒星六芒星

桓武天皇が平安京を遷都した時に、京都は渡来系豪族の秦氏の拠点でした。
秦氏は渡来系と言っても朝鮮系中華系ではなくて、ユダヤ系の渡来人だったと言われています。

太秦(うずまさ)という地名は、秦氏がヤマト政権に税を納める際に用いた絹が「うずたかくつまれた」ので、朝廷から「うずまさ」の姓を与えられ、それに太秦の漢字表記をを当てたという説がありますが、ヘブライ語ではウズ→光 マサ→たまもの、ウズマサはメシアの意味です。
メシアとは旧約聖書では超人的な英知と能力をもってイスラエルを治める王を言い、新約聖書ではイエスキリストのことをさします。
また普通は読めない太秦から「、」を取って大秦にすると中国語では古代ローマのことを表します。
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    [広隆寺境内 馬酔木]

平安京の紋章は六芒星であり、古代ローマの紋章が五芒星であります。
六芒星(またの名を「ダビデの星」日本では「カゴメ紋」と呼ばれる)はユダヤ人のシンボルで、現在のイスラエル国旗にも真ん中にこのマークがはっきりと青く描かれています。
紀元前後のユダヤ人の遺跡にもはっきりと六芒星が刻まれていて、ダビデの星はすでに紀元前後のユダヤ人のシンボルとなっていたようです。
ユダヤ人のシンボルの六芒星が平安京のマークと一致するなんて、偶然とは考えられませんよね。



秦氏の中で一番有名なのが秦河勝で、聖徳太子の側近として政権中枢にいました。
河勝が聖徳太子にプレゼントされた弥勒菩薩像を本尊にして建立したのが太秦にある広隆寺です。広隆寺は平安京ができる前から存在する京都最古の寺です。

先月末にあのあたりを散策しましたが、広隆寺の中に陰陽道では魔除けの呪符として伝えられる五芒星の奉納絵馬がありました。
陰陽道と五芒星といえば、安倍晴明の晴明神社の社紋も五芒星で鳥居の真ん中に飾られていますが、晴明は秦氏の末裔です。

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    [広隆寺 五芒星]

京都市の古い市章は「京」という字をごくシンプルにデザイン化したものらしいですが、一説によると平安京のマークの六芒星を基にしたとも言われています。

この話にはまだまだ続きがありますよ。
広隆寺門前の併用軌道を嵐電の電車がゆっくり走ってきました。
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    [嵐電]

六芒星は日本ではカゴメ紋、わらべ唄の「かごめかごめ」もヘブライ語で謎解きができる唄のようです。
広隆寺の石段で休憩しているわらべ唄世代の保育園児の可愛い笑顔など、全部クリックしてど~ぞ!
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    [わらべ唄世代]





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2024年04月13日

さくらさくら♪はヘブライ語の歌

さて山形の桜は確か昨日が満開、今年は桜吹雪にうまく当たればいいなと思っているのですが、満開の桜を前に思わず口ずさむのが、誰でも知っている「さくら さくら♪」でしょうか。

ところがこの作者不明の日本古謡はヘブライ語で解釈できるのだそうですね。
詳しいことは省略しますが、「サクラ」というのはヘブライ語で「隠れた」という意味のようです。

「やよいの空は」は「唯一の神 迫害された 耐えて」とまあこんな感じで…あとは省略です。
とにかく最後には「イザヤ イザヤ」とユダヤの預言者の名前まで出てくるのですから、こりゃあ興味津々ですね。

ついでに「かごめかごめ」「とうりゃんせ」、極めつきは「君が代」もヘブライ語で読めるのだそうであります。

世界中の国歌で短調の曲は日本とイスラエルだけ。
子供が生まれて宮参りをする習慣があるのは日本とイスラエルだけ。
等々、こんなことの例を挙げると、いくらでも出てくるのです。

ちなみにイスラエルに桜はありませんが、アーモンドはイスラエルで春一番に咲く木花です。
アーモンドの花を見たことがありますか?
京都では府立植物園や平野神社で見られますが、ピンクの色の濃い河津桜や陽光とそっくりの綺麗なサクラです。

写真は今年の醍醐寺のサクラサクラ。
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    [いざや いざや]





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2024年02月29日

稲荷神社とユダヤ教

キリスト教の元になったのがユダヤ教ですが、イスラム教も元を辿ればユダヤ教に行き着きます。なので平安京エルサレムが今でもこの3宗教の聖地となっているわけですが...。

では日本の神道はいつごろからできたのでしょうか。
秦氏一族が渡来する以前の縄文弥生時代から日本には民間信仰のような物があったはずで、それが今の神道のような様式になったのには、秦氏のような渡来人つまり古代ユダヤの宗教様式が大いに関わっているようで、その具体例にはいとまがありません。

神社の建築物の配置や様式、神輿の形や巡幸の様子、参拝の形式などが、ユダヤ教のそれとそっくりなのであります。
さらに天皇家の象徴の三種の神器も、ユダヤ教の3つの神器がルーツとも言われています。

さて神社の中でも稲荷神社についてですが、稲荷の語源は「稲(い)成り」だというのが通説のようですが、ユダヤ教と神道の成り立ちの関りを考えると、そんな言葉遊びみたいに単純ではなさそうです。

キリストが処刑された時に、頭上の十字架には彼の罪状を書いた紙が貼られました。
IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳されるそうです。
その頭文字がINRIです。当時の日本語にはンの発音がなかったので、Nの後ろのAをつけてイナリと発音したようです。
とてもロマンのある話だと思いませんか?
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    [INRI]

ついでに稲荷神社の鳥居は他の神社と違って赤いですね。赤い鳥居、なぜなぜ赤い?
通説では赤い色は魔除けの色とか言われていますが、面白くないですね。

実は旧約聖書の中のモーセの出エジプト記に、この答えが出てきます。
モーセがエジプトからユダヤ人を脱出させる前夜、どの家の住人がユダヤ人なのか分かるように、ユダヤ人は家の入口の柱と鴨居を羊の血で赤く塗っておくようにと指示をします。
そして赤く塗られた入り口の家の住民を連れて、エジプトを脱出したのです。

そしてヘブライ語では柱のことを「トリイ」と言うことは前に書きました。
赤い鳥居は、羊の血で赤く塗られた家の入口にそっくりなのです。
なかなか面白い話じゃありませんか?

写真は去年の桜見ごろの京都吉田山の竹中稲荷社の赤い鳥居です。
外人のおねえさんが一人で桜を愛でていました。
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    [INARI]
今日で2月は終わり、閏年なので1日おまけの日です。



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2024年02月25日

平安遷都とエルサレム+琵琶湖

日本の古代史には大きな豪族の一族が政治や産業などに関わってきたと、日本史の授業で習いました。
例えば蘇我氏や中臣(藤原)氏や大伴氏や物部氏や忌部氏等々、これらがいろいろな天皇家とごちゃごちゃになっているのですがごちゃごちゃになっていて、歴史家によっていろいろな解釈があって読者としては混乱します。

その中で秦氏は渡来人の技術集団で、先祖をたどれば秦の始皇帝だと言われています。
秦氏の呼び名は機織り(はたおり)などにも名前が残っていますが、全国に散らばって畑や畠や羽田などの名字としてもその呼び方が残っています。
始皇帝はどうやら中華の民族ではなくて、はるか西方から移動してきた遊牧民の可能性があり、その先をたどればユダヤ系の流れをくむようです。

そして平安遷都には秦氏も大きく関わっていたようで、先のブログに述べましたがエルサレムと平安京は同じ名前であることの他に、その地を選ぶのに琵琶湖も関係していたのかもしれません。

エルサレムを北上するとキネレット湖(ガリヤラ湖)という、形が琵琶湖に似た大きな湖があり、イエスキリストが福音を伝えた場所として有名です。
このキネレットというヘブライ語を訳すと琵琶とか竪琴の意味なのです。
平安京に住むユダヤ系の秦氏が祖国を思って、平安京の近くの大きな湖に琵琶湖という名前をつけたのかも知れません。
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    [琵琶湖]

秦氏の京都の拠点は太秦(うずまさ)ですが、どう考えてもこれを太秦とは読めません。
ウズとはヘブライ語で光とか栄光という意味、マサはヘブライ語のマシアッハつまり日本語ではメシア(救い主)の意味なのです。
なので、太秦はヘブライ語で救い主の栄光または救い主の力というような意味になります。

太秦に蚕ノ社(かいこのやしろ)という日本に養蚕技術をもたらした秦氏ゆかりの神社があって、この神社には奇妙な3本柱の鳥居があります。
この三柱鳥居は、キリスト教ネストリウス派の景教の遺物と言われています。
などなど...この先もキリがないのでまたの機会に。

ということで、平安京の近世のシンボル平安神宮と桜ですが、この桜もまたヘブライ語と関係が....。
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    [平安神宮]

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2024年02月22日

日本語のルーツはヘブライ語?

たった一日で本来の2月に戻ってしまいました。今冬出番の極端に少なかった除雪車が嬉しそうに張り切って、寝静まった真夜中のうちにがっちりと道路の雪を家の前に置いていったようです。
さて今からひと汗かきますか。

で~、今日はこんな話です。
古代の日本にユダヤ人が渡来していたという伝説があります、いや事実かも知れないのですが教科書では教えてくれません。

高校生時代に雑誌で、十和田湖の東側の山中に新郷村というのがあって、そこの戸来(へらい)地区にはキリストの墓がある、年に一度の祭りの時はヘブライ語の歌を唄う、子供を初めて外に出すときは額に炭で十字を書く習慣がある、などを呼んだ記憶があります。戸来という言葉はヘブライからきているとも言われています。

最近、古代日本の歴史の本が面白くて読んでいるのですが、特に日本語とヘブライ語の共通点や、日本に残る古代ユダヤの痕跡などについて興味を持ちました。
なので、ブログネタに困ったときは、時々これについて書いてみようと思います。

日本のカタカナの元が実はヘブライ語だったという話もあるし、実際ユダヤの民が日本に流れ着いた頃は、日本にはまだ文字はありませんでした。
なので魏志倭人伝に書いてある卑弥呼や邪馬台国などの言葉は、魏の通訳が現地人から音で聞いて、それに当て字をして文章にしていたわけです。
だから、卑弥呼は「ひみこ」ではなくて「日の巫女」(太陽信仰なので平凡に日の巫女)と呼ばれていただけなのかもしれません。邪馬台国も「やまとこく」が方言で訛って「ヤマタイコク」に聞こえたのかもしれません。

ではほんの一例ですが、日本語の「話す」はヘブライ語で「ダベル」、「貴方」は「アター」、「寒い」は「コウル」など。
「虎の巻」は兵法や芸道の秘伝書のことですが、ヘブライ語では聖書や法典のことを「トラー」というのだそうです。

ついでに「ヤマト」とはヘブライ語で「神の民」の意味なのです。
もひとつついでに、エルサレムはヘブライ語の発音では「イェルシャライム」、イールとは市や都という意味、シャロームは平安を意味するので、つまりエルサレムを日本語にすると平安京となるそうですが、平安京の話はだいぶ前に谷村新司がラジオのDJでしゃべっていましたな。

というわけで今日の写真は京都 将軍塚青龍殿から見た平安京。
桓武天皇が和気清麻呂と一緒に登って平安遷都を決めた場所です。右下の赤い鳥居が平安神宮。
因みにヘブライ語で柱のことを「トリイ」と言うそうです。
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    [平安京]

urutorahurosu at 06:30|PermalinkComments(2)