2017年02月02日
今は無き鉄路たち
北海道・東北地方は大荒れのようですね。
外は雪が積もって、少し除雪が必要なようです。
さて今日の記事は少々マニアックなので、興味の無い人はスルーしてください。
横浜の原鉄道模型博物館の展示物の中で一番興味を引いたのが、原信太郎氏の撮影した乗り鉄の写真アルバムでした。
その中には自分が乗ったことがある、今はもう無い懐かしい鉄道の写真があって、その一部をお散歩カメラで撮ってきました。
これは中央西線の上松駅駅のすぐ裏から出ていた木曽森林鉄道王滝線。
今は上松町の赤沢自然休養林で2キロ近くの距離を復活運転されています。
[森林鉄道]
かつて北海道には網の目のように鉄道が敷かれていて、釧路から知床方面にかけても線路が敷かれて、この写真はその東の果ての終着駅、根室標津駅。
[根室標津]
旧東北本線野辺地駅から七戸駅まで走っていたノスタルジックな南部縦貫鉄道。
この車両はレールバスと言われ、運転席は本当に昔のバスそのもの。
過去2回乗車しましたが、現在は一応動態保存されているようです。
[レールバス]
大学時代、十和田湖に行く時はいつも三沢駅からこの十和田電鉄で十和田市まで行ってから路線バスで行ったものでした。
途中、ふるさと(古里)という素敵な名前の駅がありました。
[十和田電鉄]
岩手開発鉄道は岩手石橋駅から気仙沼まで石灰岩を運ぶために作られた鉄道で、かつてはこの車両で乗客も運んでいましたが、平成4年に旅客営業が廃止され、今は石灰岩の輸送で走っています。
終点の岩手石橋駅の手前でスイッチバックがあったのを覚えていますが、確か最終便だったので、たぶんそのまま折り返しの便で帰ったはずですが記憶が定かでありません。
[開発鉄道]
信太郎氏の記憶違いでしょうか、間違い発見。
これは南部縦貫鉄道ではなくて、秋田内陸縦貫鉄道。
数年前に初めて完乗しました。
ここだけはまだ走っています。
マニアックでしたが、よかったら全部クリックしてど~ぞ!
[秋田内陸]
ん・・除雪車が来た。
外は雪が積もって、少し除雪が必要なようです。
さて今日の記事は少々マニアックなので、興味の無い人はスルーしてください。
横浜の原鉄道模型博物館の展示物の中で一番興味を引いたのが、原信太郎氏の撮影した乗り鉄の写真アルバムでした。
その中には自分が乗ったことがある、今はもう無い懐かしい鉄道の写真があって、その一部をお散歩カメラで撮ってきました。
これは中央西線の上松駅駅のすぐ裏から出ていた木曽森林鉄道王滝線。
今は上松町の赤沢自然休養林で2キロ近くの距離を復活運転されています。
[森林鉄道]
かつて北海道には網の目のように鉄道が敷かれていて、釧路から知床方面にかけても線路が敷かれて、この写真はその東の果ての終着駅、根室標津駅。
[根室標津]
旧東北本線野辺地駅から七戸駅まで走っていたノスタルジックな南部縦貫鉄道。
この車両はレールバスと言われ、運転席は本当に昔のバスそのもの。
過去2回乗車しましたが、現在は一応動態保存されているようです。
[レールバス]
大学時代、十和田湖に行く時はいつも三沢駅からこの十和田電鉄で十和田市まで行ってから路線バスで行ったものでした。
途中、ふるさと(古里)という素敵な名前の駅がありました。
[十和田電鉄]
岩手開発鉄道は岩手石橋駅から気仙沼まで石灰岩を運ぶために作られた鉄道で、かつてはこの車両で乗客も運んでいましたが、平成4年に旅客営業が廃止され、今は石灰岩の輸送で走っています。
終点の岩手石橋駅の手前でスイッチバックがあったのを覚えていますが、確か最終便だったので、たぶんそのまま折り返しの便で帰ったはずですが記憶が定かでありません。
[開発鉄道]
信太郎氏の記憶違いでしょうか、間違い発見。
これは南部縦貫鉄道ではなくて、秋田内陸縦貫鉄道。
数年前に初めて完乗しました。
ここだけはまだ走っています。
マニアックでしたが、よかったら全部クリックしてど~ぞ!
[秋田内陸]
ん・・除雪車が来た。
urutorahurosu at 05:21│Comments(2)│乗り鉄 撮り鉄
この記事へのコメント
2. Posted by toru-mizusawa 2017年02月02日 08:58
こうした超ローカルな、小さな鉄道こそ面白いのに、
今はどんどん無くなっていって、日本の田舎も
さびしくなってしまいました。
今はどんどん無くなっていって、日本の田舎も
さびしくなってしまいました。
1. Posted by ブルースカイ 2017年02月02日 15:26
kusakabe-dcさん
高度成長で都市にばかり経済が集中し、地方が衰退していった結果を見ているような気がします。限界集落という言葉には、そこで暮らしている人達の悲しみが秘められているようです。地域産業を支えてきた鉄道の歴史が霞んでいるようですね。
高度成長で都市にばかり経済が集中し、地方が衰退していった結果を見ているような気がします。限界集落という言葉には、そこで暮らしている人達の悲しみが秘められているようです。地域産業を支えてきた鉄道の歴史が霞んでいるようですね。