かなり久しぶりの成田エクスプレス日本一短い路線の鉄道

2024年06月03日

古墳時代のユダヤ人埴輪

今回の目的地は結構不便な場所にあるので、まず下車したのが総武本線松尾駅。JR東金線と総武本線が分岐する成東駅の一つ先の駅です。
松尾駅からは成田空港近くの芝山千代田駅までコミュニティバスが走っていて(一日6往復)、なかなか時間を合わせるのが難しいのです。

乗客は地元の老人、競馬新聞を持った年金生活らしき人たちが場外馬券売り場まで行くようです。
P1000280(2)
    [コミュニティバス]

途中で下車して自然たっぷりの無人の道をしばらく歩きます。
こりゃあ真夏に来ていたら大変だったな。
P1000282(2)
    [竹も緑]

芝山はにわ博物館に到着。なぜこんな不便な場所にあるのかというと、あたりが古墳群でそこで出土した埴輪や副葬品が収蔵されているからです。
館内撮影OKで入館料200円ですが、シルバー割引で140円でした。
館内はこんな感じで展示されています。
P1000286
    [埴輪]

ここで特に話題になっているのがユダヤ人埴輪です。
頭にはつばのついた山高帽、髪は美豆良(みずら)を結い、顎ひげをたくわえて、鼻が高くてほりの深い顔。一見するだけで従来の埴輪のイメージとは全く違うのがわかります。
というか、ユダヤ教の信者の服装そのものです。
P1000290
    [ユダヤ人埴輪]

まだ正式には文字のなかった古墳時代、当時の様子を知るには後に書かれた記紀などの文献だけではなく、このような埴輪や埋蔵品などの形象学考古学を駆使活用して分析していかなければ見えてきません。
そうすれば、古墳時代には関東のこの辺まではユダヤ人の集団が来ていた、ということが分かってくるわけです。

いや今でこそこんな田舎ですが、当時のこの辺りは縄文弥生時代から日高見国があって、近くには伊勢神宮よりも古い鹿島・香取の両神宮が鎮座していました。
現代は神宮を名乗る神社が腐るほどありますが、平安時代に神宮を名乗ることができたのは伊勢・鹿島・香取の3つの神宮だけという、由緒のある格式の高い特別な三神宮なのです。

なので当時のこの辺に渡来したユダヤ人集団がいたのは不思議なことではないのです。
ようやく馬が日本に入ってきた頃で、馬の一大供給地だったことから群馬の名前もできたようです。
高崎市の古墳からもユダヤ人埴輪らしきものが出土していますが、高崎のは顎ひげがなかったですな。
芝山古墳群では、山高帽の埴輪はどれも豊かな顎ひげがあります。
P1000296
    [頭部]

ちなみに三内丸山遺跡のある青森には新郷村の戸来(ヘブライがなまってヘライ?)地区にはキリストの墓があり、赤ちゃんの額に炭で十字架を書く習慣や、北東北にはナギャドラヤというヘブライ語の民謡が今も残っていて、そこまで古代ユダヤ人が行っていたことが推測されます。
縄文時代後期になるまでは日本の平均気温が今よりも5℃ほど高かったようなので、縄文遺跡が北海道でも見つかっているのです。
P1000299
    [古代ユダヤ人たち]

高崎に戻ってからネットで調べていたら、これらの埴輪群は近いうちに国指定の重要文化財に指定されるようです。(今年3月に申請)

帰りのバス停の道路沿いにもレプリカのユダヤ人埴輪が立っていました。
どうもコンデジのピントがきちんと合わなくて使い物になりませんな。
いやカメラが悪いのではなくて、使用する側の取説の理解度不足なのでしょうが。
全部クリックしてど~ぞ!
P1000316
    [道路沿い]



urutorahurosu at 06:00│Comments(2)日本と古代ユダヤ人 

この記事へのコメント

1. Posted by 0yazi   2024年06月05日 20:07
いや、古代史は推理が楽しいですよね!!!

宮城県の北上川に「日高見橋」ってのがありまして、あの先生の北上川は日高見川って説を証明しているようです。
2. Posted by kusakabe-dc   2024年06月06日 08:07
まったく古代史は正解が誰も分からないので、自由に自分好みの推理を選んで調べていけるので面白いですね。
北海道の日高地方から日高山脈、埼玉には日高市があるし、古代王朝もあったと言われる飛騨も日高から来ているのでしょうか?
まあ日が高いですから、自分の所から見て東~南の方角は、どれも日高や日が高く見える(日高見)なので、あちこちに偶然にあってもおかしくはないのかもしれませんね。
世界中の民族が太陽崇拝ですから。

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